2015年5月6日水曜日

若者よ

 2012年、国際青年エスペラント大会(通称IJK:イーヨーコー)を日本で開催する予定であった。だが、残念ながらその前年の年末に中止が決定した。

 その経緯を簡単に振り返る。
 
 2011年、IJKが奈良の天理で行われることが決定し、大会会場も決まっていた。
当時私は日本青年エスペラント連絡会の代表兼大会委員長で、準備・広報に奔走していた。その年の夏に行われたウクライナのIJKなどで広報した後、その疲れもあって、私の大会委員長としての仕事があまり進んでいなかった。そのことで私の仕事ぶりへの不信感が大会委員の間で強まり、2011年に10月に委員長交代となり、天野さんが大会委員長を引き継いだ。私は大会委員として残ったが、大会開催地の変更を巡って意見が割れ、開催を辞退することとなった。
 
 辞退することになった主な理由は3つである。
①開催予定地の天理市は宗教色が強く、中立的なエスペラントにとって相応しくない。
②委員長を始めとする大会委員が関東に多く、天理にいるのは私一人であり、準備が難しい。
③力のある若手エスペランティストが少ないので、2015年まで延期して、それまでに若者の育成を計る、というものであった。
(結局2015年に日本で開催されることはなかった。。。)

 私はあくまで2012年開催を主張、その実現を模索したが、他の委員からの賛同は十分に得られなかった。それには私への不信感が拭えなかったことが大きい。
 端的に言えば、開催延期多数派はいわゆる"完璧"な日本的大会を目指し、私を含めた少数派は、稚拙でも、とにかく安い参加費で開催することを目指した。
 そして、TEJO(世界青年エスペラント機構)のホームページに、日本開催中止のお知らせが掲載されたことが決定打となった。スピード決定であった。

 私が主導して2012年のIJKを日本に招致するに至った理由は、日本で青年大会が久しく開催されておらず* 世界的に見たときに、日本が担う役割というものは大きいと考えたためである。
(注* IJKは50年前に一度、日本で開催されている。また2007年の横浜世界大会UKでは、天野さんを始めとした青年エスペランティストが青年プログラムを成功させている。参考情報として、エスペランティストはフランス・ドイツ・ポーランドなど欧米圏に多いが、UK参加者は例年、開催国を除いて日本人が一番多い。)

 また、2011年ウクライナIJKにて、各国代表がそれぞれの国・地域の活動状況を話し合う場が設けられたが、印象として、欧米のエスペランティストは、アジア人がエスペラントを学習する壁について理解していないと感じた。そもそもアジア人代表は私一人であった。(ただ一人、アルゼンチン代表のコンサーロが理解を示してくれた。)

 そして、停滞していた日本の若者の活性化を計ると共に、2010年開催のキューバを含め、海外のエスペランティストたちを日本に招待したかった。

 2012年のIJKは、日本の代わりにベトナムの女性エスペランティストたちが引き受けた。その年のUKがベトナム開催ということも手伝って、準備期間の少ない中、大会を見事に成功させた。
 当時のベトナム青年代表に聞くと、運営準備のためのエスペラントを十分に使える若手は、代表を含め3人だけだったそうだ。それでも、気の合う3人は、一つの目標に向かって手を取り合った。
(2015年現在でも、彼女たちが中心となってベトナムのエスペラント運動を引っ張っている。)

 今、日本の若者に期待するのは、2007年横浜の世界大会などで活躍した世代の経験と力を継承し、新しい活動を継続していくこと。現在、私がいた当時より、インターネット雑誌: Pasxo を始めとした、若者の活動が活発になっているのは、嬉しい限りです。
 
 エスペラントは生きるに値する。
 エスペラントは言語の統一を目指すものではなく、言語の多様性を推進する。
 エスペラントの土壌そのものを変えていかなければならない。

 世界平和を願って始まったものにオリンピックがあるが、その成功の指標は、メダルの数ではない。ロンドンオリンピックが成功した最大の要因は、イギリス人の健康志向が高まり、スポーツ人口が増えたから。それには、子どものころから、複数のスポーツに触れられることが重要という。
 翻って、各人の国際感覚を育てるには、若いころから複数の言語・異文化に触れることが重要ということになる。エスペラントがその一端を担えればいいと思う。
 国際大会の本当の意味での成功は、大会が終わったあとに、その地でエスペラントの文化が根付くこと。

 若者よ、一緒にがんばろう!
 

0 件のコメント: