2011年3月4日金曜日

エスペラントが起こす小さな奇跡

今日は、神戸近くのエスペランティスティーノ(女性のエスペラント話者)の家に泊めていただきました。韓国から1人と、東京から2人、奈良から私。
今日合流した子と、韓国人の彼は、2006年ベトナムの国際青年エスペラント大会(IJK)以来の友達。彼らは5年ぶりの再会。4人で朝まで、いろいろと話しました。

その中で、Esperanta Miraklo (エスペラントが起こす奇跡) の話になった。
私が聞いたことがあるのは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪れたとき、緑の星のバッジをつけていたら、そこで働いている人に「エスペランティストですか?」と聞かれ、「実は私もなんです。」と、無料の解説で収容所内を案内してもらったという話。
トーゴへ行った時、たまたま知り合ったエスペランティストが、実は日本で活躍する有名人(ゾマホン)のいとこで、その場で電話をかけてアポをとり、ゾマホンのいる村まで車で連れてってくれたという話。普通の交通機関では絶対に行けなかったような場所だったそう。
それぞれの人がそれぞれのミラークロな話を持っている。

そもそも神戸で泊めてもらえることになったのも、エスペラントが起こした小さな奇跡かもしれない。神戸の方に感謝です。
みなさんは、どんな奇跡を体験したことがありますか?

2011年3月3日木曜日

国際青年エスペラント大会とはどんなもの?

来年の夏、沖縄で国際青年エスペラント大会 (Internacia Junulara Kongreso) が開かれます。
では、国際青年エスペラント大会(以降IJK:イーヨーコー)とはいったいどんなものでしょうか?

私の経験(昨年のキューバでのIJK、一昨年前のクロアチアでの青年合宿MIROなど)と、聞いた情報などを元に説明します。

開催期間:一週間
開催時期:7月の後半~8月前半が通例。
参加人数:200名前後。(年によって違うが、ヨーロッパ開催だと多く、ヨーロッパ以外では少なくなる傾向。)
参加者年齢:20代が中心だが、10代はもちろん、40代以上のもいる。


IJKを一言でいうと、交流「合宿」。
代表委員会、勉強会などのまじめなプログラムもありますが、基本的には食べて、飲んで、踊って交流を深めるのがメイン。一週間の寝食を共にするので、カップルも数組生まれます。

参加費は夏休み中の学校を貸りるなど、できるだけ安い宿を使うので、かなり安い。
キューバ・クロアチアでは、観光などのプログラム、一週間の食事など全て含めて約2万円。
(沖縄でも、若い人にはできるだけ安く抑えられるようにします。)


大会ごとにテーマが設けられ、それに沿って様々なプログラムが用意されます。
(沖縄大会のテーマは「エスペラントの風 ~ IJKと地元の人との交流~」です。)
よくあるプログラムは、開催国の言語を超特急で習う授業、ダンスのレッスン、各国文化の紹介、ギター・バンドなどの演奏会。夜はオープンスペースで音楽が流され、踊り好きが多いので、さながらクラブの様相を呈します。

大抵一週間のうちの一日半程が観光に当てられ、近くの名所などを周ります。
クロアチアでは小規模(約20人)だったので、主催者の友人宅(非エスペランティスト)の家へ遊びに行ったりもしました。

プログラムはいろいろ用意されますが、同じ時間帯に複数の番組が用意されている場合は、好きなものを選ぶことになります。大学の授業を選ぶ感覚に似ています。途中で変更しても構いません。
また、催しに出なければならないという制約もなく、宿舎でのんびり過ごしながら、気が向いたときにだけ顔を出す人もいます。ゆっくり休暇を楽しむというスタンスですね。
(キューバではプログラムも少なく、海辺だったので、まさにそんな雰囲気でした。)
プログラムの合間を見計らって、サッカーなどのスポーツに興じるのも楽しみの一つです。

と、私が知っているIJK(国際青年エスペラント大会)はこんな感じ。
今年ウクライナのキエフで行われる、IJK(7/14~21)には私を含め、すでに何人か参加予定です。
みなさんも一緒に行きませんか?

2011年3月2日水曜日

韓国人エスペランティストを迎えて、大阪観光。

韓国人エスペランティストが大阪に来るというので、関西を中心に若手が集まり、大阪観光をしました。
彼とは、昨年のキューバで行われた国際エスペラント青年大会に一緒に参加。
久しぶりに生きたエスペラントを使って、少し感覚を思い出しました。

夕食後に行ったカラオケでのこと。
日本語の曲は、韓国人の彼が分からないだろうということで、歌詞をアドリブで適当にエスペラントに訳して歌ったりしていました。
すると、それまで歌っていなかった一人が完璧なエスペラント訳で、しかもリズムにあった英語の歌を歌い出しました。
(もちろん画面には英語の歌詞が出ているので、彼はエスペラント訳を暗記していた!?)
それには、一同びっくり。大盛り上がりでした。
エスペラントでもうまく訳せば、こんなにも綺麗に聞こえるんだということを実感しました。

今日のエスペラント単語:小麦粉 - faruno(ファルーノ)

今日の韓国語便利表現:お酒 飲もう - スル マッシジャ 

2011年3月1日火曜日

繋がることばが奇跡を起こす

日本エスペラント学会(JEI)が発行する、会誌エスペラント(La Revuo Orienta)2001年1月号で、「奇跡を起こすのはわたしたち」という記事がありました。

2001年1月といえば、21世紀、ミレニアムの始まり。
エスペラント運動の伸び悩みを憂えた執筆者の臼井裕之さんは、記事の中で、
21世紀の戦略として3つの提案を行いました。

第一の提案:
エスペラントの言語学的研究を進め、日本のどこかの大学にエスペラント学科を設立する。

第二の提案:
外国語学習への橋渡し。とりわけ英語への。

第三の提案:
地域からの活性化。おすすめは沖縄。沖縄で講習会を打ち、最後のしめに国際合宿をやる。

そして今、この3つの提案に私は、もう一つ加えたい。

第四の提案:
インターネットの大活用。

言わずもがなではあるけれど、少しだけ聞いてください。

人類は今まで2つの大きな転換期を迎えてきました。
一つ目は狩猟から農耕へ。
2つ目は農耕から工業へ。
そして今、3つ目の転換期を迎えています。
工業社会から情報社会へ。

それぞれの時代で大きな革新がありました。
それぞれの社会に大きなパラダイムシフトが起こりました。
それ以前の人たちには、想像もつかなかったようなことが次々と起きました。
私たちは今、それぐらい大きな時代の転換期の真っ只中にいるのではないでしょうか。

言論の自由が推進され、私たちはいろんな情報を得ることができます。
いろんな考え方を知ることができます。
そして、生き方を選択することができます。

たとえば、フェアトレード。
なぜ、高いのにわざわざフェアトレード商品を買う人がいるのでしょうか?
それはその人たちの考え方ですよね。
それができるのも、個人に与えられた選択する権利があるからだと思うのです。

臼井裕之さんは木村護郎さんとともに、事実上日本に初めて「言語権」という概念を紹介しました。


ことばを選ぶ権利。


自分が何語をしゃべるのか、どこの方言をしゃべるかということは取りも直さず、
どんな人と話をするのか、
どういう人が集まるコミュニティに属するのか、
誰と友達になるのか、
ということに関わってくるはずです。

「ことばの選択は生き方の選択である」
これが、最近わたしが行き着いた“想い”です。

この情報化社会の中、どんどんインターネット技術が革新され、
iphone、ipad に代表されるような新しい道具が生まれ、
驚くほどの勢いで、今まで考えられなかったインターネット上のサービスが生まれています。

約40年前、人類は月に到達しました。
人類宇宙時代も時間の問題です。
でも、その前に情報化の波が半端ない。
情報化によって、今まで繋がっていなかった人々が容易に繋がるようになりました。
繋がることによって、蜜なコミュニケーションが生まれました。
そのうねりが、今も吹き荒れる中東の革命を導いています。
ひとつには、アラブ諸国でアラビア語が共通語として機能しているから、ということが大きいそうです。

これから世界はもっともっと繋がる。
もっともっとコミュニケーションが生まれる。
国境を超えて、いろんな垣根を超えて。

その中で、わたしたちはどんなことばを選択しますか?

「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉があります。
私はこの言葉に大変共感を抱きます。
私が今一番心をくだいているのは、沖縄国際青年エスペラント大会(IJK)です。
エスペラントを少しでも多くの人に知ってもらい、少しでもいいイメージを持ってもらいたい。

沖縄IJKを成功させるため、皆さまのお力を貸していただけませんか?

2011年2月28日月曜日

エスペラントで国際交流しようよ

今日スカイプで徳島のエスペランティスト(エスペラントをしゃべる人)と話しました。
彼女は週一回、ロシアのエスペランティストとスカイプを繋いで、両国の若い人にエスペラントを教えています。

そこで意見が一致したのは、若者がエスペラントを勉強しようという動機となるものが少ないということ。
エスペラントの実用性が乏しいから?

でも、これは変わる。
これから変わる。

今でさえ、エスペラントを使う場所はあるし、有効に使ってる人はいる。
ましてインターネット技術、ソーシャルネットワークがもっと普及すれば、状況は劇的に変わる。

もちろん英語がしゃべれたらいいけど、英語にとらわれ過ぎたらいけないと思う。
国際交流=英語がしゃべれないといけない、みたいな。

エスペラントだったらもっと簡単にできるのに・・・。
エスペラントでサルートン!(こんにちは!)と言えば、
英語でハロー!と言うより何倍も親近感が湧くのに。

rとlの発音が間違ってたっていい。
rとlの発音が違うよ、と会話で指摘するエスペランティストはいないし、
指摘するべきことではない。されるべきでもない。
日本人はrとlの区別はしないんだよ、と堂々と言ってやればいい。
だいたい、外国人も日本語にrとlの区別がないことを知っている。

大事なのは、そんな小さなことにとらわれずにコミュニケーションすること。
大事なのは、rとlの発音ではなく、相手に何を伝えたいのか、相手から何を聞きたいのか、相手とどういう関係を築きたいのか。

英語に苦手意識があるからといって、国際交流をすること自体にも臆病になっていませんか?

誰かが言っていました。
"英語を流暢にしゃべれないということは、英語以外の言語を流暢にしゃべれるということだ。"

もっと日本語をしゃべることを誇りに思えばいい。
もっと日本人であることを誇りに思えばいい。

英語が苦手だから、国際交流も苦手というのはもったいない。
そして、国際交流するのは英語じゃなくてもいい。

エスペラントは簡単だよ!
とは間違っても言えないけれど
でも、これだけは言える。
英語より簡単。
日本人向き。

エスペラントをしゃべる人は世界中にいる。使う場所もある。
インターネットでもっと繋がりやすくなれば、確実に使用機会は増える。

今まで何人の外国人と話したことがありますか?
毎年行われる7日間の世界大会には、いろんな国から2000人が集まるんです。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東、アフリカから。
会場の廊下ですれ違ったら、みんな既知の間柄のようにサルートン!と声をかけてきます。
そこからはあなた次第。
もちろんエスペラントをしゃべる人の中にも合わない人はいるし、付き合いたくない人もいる。
でも大概はみんなすごくいい人。(ま、ちょっと変な人が多いかな)

最後に、外国人の親友ってよくないですか?
エスペラント繋がりで友達になった子は、関係が濃い~。

そんなエスペラントで国際交流する楽しさを、一度味わってほしいのです。

みなさんはどう思われますか?
コメント、メール、つぶやきください。
 
 

2011年2月27日日曜日

2012年 国際青年エスペラント大会 沖縄で開催 !

毎年世界どこかの都市で開かれる、エスペラント界最大の
青年行事「国際青年エスペラント大会」を2012年に、沖縄で開催します。
(去年はちなみにキューバだった。今年はウクライナ。)

大会と名前は付いていますが、どちらかというと「合宿」に近い。
一週間のプログラムを通して、世界各国から集まるエスペランティスト(エスペラントをしゃべる人)と一緒に観光したり、飲んだり踊ったりして交流を深めます。
参加者は約300人。
2007年には、横浜で世界大会が開かれましたが、
青年大会の日本開催は47年ぶり。
せっかく沖縄でやるので、沖縄の自然・文化・歴史を生かして、お祭りのように楽しい大会にしたいです。

また、青年と名はついてますが、年齢制限はありません。
心が若い人ならどなたでも!
初心者も大歓迎です。
(沖縄大会では、初心者育成に力を入れます)
 
 

2010年10月14日木曜日

Amindaj: Junulara Esperanta Muzikgrupo el Kubo

 ♪ Kubo belega Kubo
Preskaux cxiutage mi kantetas tiun cxi frazon senintence.
Amindaj estas junulara Esperanta muzikgrupo el Kubo.
Mi renkontigxis kun ili tra la 95-a Universala Kongreso, la 66-a Internacia Junulara Kongreso kaj la vojagxo post tiu kongresoj en Kubo.
Ĉiuj membroj de Amindaj estas mirindaj!
 Ridu ridu ridu bonvlu ne plori ♪

まぎらわしいaŭ群

kvazaŭ: まるで(as if)
preskaŭ: ほとんど(almost)
almenaŭ: 少なくとも(at least)
apenaŭ: かろうじて、するやいなや
malgraŭ: ・・・にもかかわらず(後に名詞が続く)
kvankam: ・・・だけれども(後に文が続く although)

morgaŭ: 明日(tomorrow)
hodiaŭ: 今日(today)
hieraŭ: 昨日(yesterday)

まぎらわしい・・・。いつまで経っても勘違いが起こるOrz

関連記事
まぎらわしい sprita, spirita, spiri, sopiri
まぎらわしい saluti, salti, ŝalti

Pasinteco Nuntempo Estonteco

Humphrey Tonkin parolas pri Pasitenco, Nuntempo kaj Estonteco de Esperanto.
Li diras, ke ni povus ripeti tute samajn erarojn, kiu estis farata en pasinteco kaj Esperanto restus en sama stato en estonteco.


Grant Goodall montras, ke cxar en estonteco la angla lingvo farigxos facila kaj facila, tiam facileco de Esperanto ne estos sia avantagxo plu. Tial sxlosilo de estonteco de Esperanto estas ne la lingvo mem. Do, kio estas la sxlosilo?


Unu lingve talenta viro parolas, kial li ne interesigxas en Esperanto.

He says "Language learning is like falling in love."
Mi sxatas la frazon. Li ne estas malsxatanto de Esperanto: li havas iun komprenon pri Esperanto. Jen,
"I love the enthusiasm of Esperantists. It has become like a cause. But let's not ascribe to much to this cause. People are just as happy killing each other when they speak the same language (Civil Wars, ex-Yugoslavia). Often the passionate pursuit of ideals can lead to some of the worst excesses. I remain uninterested in Esperanto, at least for now. But one day we would be happy to have Esperanto at LingQ for those who want to learn it. All the more power to the Esperantists, with respect."

Mi pensas, ke opinio de Steve Kaufmann estas grava. Cxar li reprezentas, kial oni NE interesigxas pri Esperanto.
Ni devas pensi, kial oni ne lernas Esperanton.
Por disvastigi Esperanton ni devas reformi la kauxzon.
Laux mia opinio ni devas akcepti, ke ni ne havas sficxe bonan kulturon, kiu allogas multajn homojn. La originalan kulturon ni devas plibonigi por estonteco de Esperanto.

2010年10月7日木曜日

石黒アンドロイドとエスペラント

自分そっくりのアンドロイドを創るロボット研究者の石黒先生。
トークショーでこんなことをおっしゃっていたそうです。

•ロボットが人間そっくりになる前に、人間の定義が変わってしまうんじゃないでしょうか。ゾンビを不気味だと思うのはゾンビが少数派の間だけで、みんながゾンビならそれが人間ということになります。

•科学者には「倫理」はないです。科学の成果はいつも二つの面がある。原子力は人を殺すし,電気も作る。それをどう使うかは社会に依存していて、全く新しい技術がどう使われるかなんて事が分かるはずがない。それを予想して一々歯止めをかけたら何も進まなくなる。倫理などと口にする科学者は本物じゃないと思います。

これをエスペラントにあてはめられるだろうか?と考えてしまう。

ことばの定義とは?
なぜ英語?多数派だから?
エスペラントは少数派?
新しい言葉がどう使われるかなんて事分かるはずがない。

エスペラントは1000年後に生きている?

よくエスペラントの未来について考える。
どうやったら広まるのだろうか?
広まるとすれば、その言語はどういう条件を備えているだろうか?

結論から言うと、今、エスペラントの文化をしっかり作るべきだと思う。
もっと特化すれば、エスペラント音楽と古典を。

外国語を学びたいと思う動機は、
①仕事に有利
②大多数の外国人が共通語としてしゃべっている
③その民族の文化に触れたい
に大別されると思う。

このうち①、②は英語が席巻している。
残るは③。
しかし、エスペラントは特定の民族を持たない。
そこがいいところでもあるのだけれど、残念ながら大勢の人間を惹きつける要因には至っていない。
多大な労力を必要とする、言語習得に見合う恩恵は与えてくれないと考えられているからだ。

一方、
古池や 蛙とびこむ 水の音
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

と歌うとき、翻訳された作品から、どれほどこれらの歌を感じることができるだろうか?

青蛙 躍進古池 水的音 (鄭振鐸)
The silence; The voice of the cicadas soak into the rocks

などの外国語訳より、日本語で鑑賞した方がこれらの句を感じることができるだろう。
同じことは逆に、日本人がシェークスピアを読む時にも言えるかもしれない。
だから外国語を学ぶのだ。

百人一首も現代語訳は見るがやはり、原文で読む方が味がある。
万葉集も理想的には万葉仮名で読みたい。

古典の重要性。
古典には民族のルーツがあり、歴史がある。
それがその言語に厚みをもたらす。
エスペラントにはそれが乏しい。
もちろん各国の文学作品をエスペラント訳することは進めていかなければならないが、同時にエスペラントによるエスペラントの古典がもっと作られるべきだ。
エスペラントにしかできない表現。エスペラントで味わいたい作品。エスペラントならではの文化。

この音楽を聴くために!この小説を読むために!この詩を理解するために!エスペラントを学ぼう、となってほしい。

1000年後、(そもそも人類が生存しているのかということは置いといて)エスペラントが滅びていないにしても、今と同じような状況で細々と続けられているとすれば、あまりにもさみしい。

Esperanto cxu vi havas la estontecon?
 

p.s. 今を楽しんでいればいいんじゃないか、旅行でもっとPRするのがよい、という意見があった。