韓国人エスペランティストが大阪に来るというので、関西を中心に若手が集まり、大阪観光をしました。
彼とは、昨年のキューバで行われた国際エスペラント青年大会に一緒に参加。
久しぶりに生きたエスペラントを使って、少し感覚を思い出しました。
夕食後に行ったカラオケでのこと。
日本語の曲は、韓国人の彼が分からないだろうということで、歌詞をアドリブで適当にエスペラントに訳して歌ったりしていました。
すると、それまで歌っていなかった一人が完璧なエスペラント訳で、しかもリズムにあった英語の歌を歌い出しました。
(もちろん画面には英語の歌詞が出ているので、彼はエスペラント訳を暗記していた!?)
それには、一同びっくり。大盛り上がりでした。
エスペラントでもうまく訳せば、こんなにも綺麗に聞こえるんだということを実感しました。
今日のエスペラント単語:小麦粉 - faruno(ファルーノ)
今日の韓国語便利表現:お酒 飲もう - スル マッシジャ
2011年3月2日水曜日
2011年3月1日火曜日
繋がることばが奇跡を起こす
日本エスペラント学会(JEI)が発行する、会誌エスペラント(La Revuo Orienta)2001年1月号で、「奇跡を起こすのはわたしたち」という記事がありました。
2001年1月といえば、21世紀、ミレニアムの始まり。
エスペラント運動の伸び悩みを憂えた執筆者の臼井裕之さんは、記事の中で、
21世紀の戦略として3つの提案を行いました。
第一の提案:
エスペラントの言語学的研究を進め、日本のどこかの大学にエスペラント学科を設立する。
第二の提案:
外国語学習への橋渡し。とりわけ英語への。
第三の提案:
地域からの活性化。おすすめは沖縄。沖縄で講習会を打ち、最後のしめに国際合宿をやる。
そして今、この3つの提案に私は、もう一つ加えたい。
第四の提案:
インターネットの大活用。
言わずもがなではあるけれど、少しだけ聞いてください。
人類は今まで2つの大きな転換期を迎えてきました。
一つ目は狩猟から農耕へ。
2つ目は農耕から工業へ。
そして今、3つ目の転換期を迎えています。
工業社会から情報社会へ。
それぞれの時代で大きな革新がありました。
それぞれの社会に大きなパラダイムシフトが起こりました。
それ以前の人たちには、想像もつかなかったようなことが次々と起きました。
私たちは今、それぐらい大きな時代の転換期の真っ只中にいるのではないでしょうか。
言論の自由が推進され、私たちはいろんな情報を得ることができます。
いろんな考え方を知ることができます。
そして、生き方を選択することができます。
たとえば、フェアトレード。
なぜ、高いのにわざわざフェアトレード商品を買う人がいるのでしょうか?
それはその人たちの考え方ですよね。
それができるのも、個人に与えられた選択する権利があるからだと思うのです。
臼井裕之さんは木村護郎さんとともに、事実上日本に初めて「言語権」という概念を紹介しました。
ことばを選ぶ権利。
自分が何語をしゃべるのか、どこの方言をしゃべるかということは取りも直さず、
どんな人と話をするのか、
どういう人が集まるコミュニティに属するのか、
誰と友達になるのか、
ということに関わってくるはずです。
「ことばの選択は生き方の選択である」
これが、最近わたしが行き着いた“想い”です。
この情報化社会の中、どんどんインターネット技術が革新され、
iphone、ipad に代表されるような新しい道具が生まれ、
驚くほどの勢いで、今まで考えられなかったインターネット上のサービスが生まれています。
約40年前、人類は月に到達しました。
人類宇宙時代も時間の問題です。
でも、その前に情報化の波が半端ない。
情報化によって、今まで繋がっていなかった人々が容易に繋がるようになりました。
繋がることによって、蜜なコミュニケーションが生まれました。
そのうねりが、今も吹き荒れる中東の革命を導いています。
ひとつには、アラブ諸国でアラビア語が共通語として機能しているから、ということが大きいそうです。
これから世界はもっともっと繋がる。
もっともっとコミュニケーションが生まれる。
国境を超えて、いろんな垣根を超えて。
その中で、わたしたちはどんなことばを選択しますか?
「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉があります。
私はこの言葉に大変共感を抱きます。
私が今一番心をくだいているのは、沖縄国際青年エスペラント大会(IJK)です。
エスペラントを少しでも多くの人に知ってもらい、少しでもいいイメージを持ってもらいたい。
沖縄IJKを成功させるため、皆さまのお力を貸していただけませんか?
2001年1月といえば、21世紀、ミレニアムの始まり。
エスペラント運動の伸び悩みを憂えた執筆者の臼井裕之さんは、記事の中で、
21世紀の戦略として3つの提案を行いました。
第一の提案:
エスペラントの言語学的研究を進め、日本のどこかの大学にエスペラント学科を設立する。
第二の提案:
外国語学習への橋渡し。とりわけ英語への。
第三の提案:
地域からの活性化。おすすめは沖縄。沖縄で講習会を打ち、最後のしめに国際合宿をやる。
そして今、この3つの提案に私は、もう一つ加えたい。
第四の提案:
インターネットの大活用。
言わずもがなではあるけれど、少しだけ聞いてください。
人類は今まで2つの大きな転換期を迎えてきました。
一つ目は狩猟から農耕へ。
2つ目は農耕から工業へ。
そして今、3つ目の転換期を迎えています。
工業社会から情報社会へ。
それぞれの時代で大きな革新がありました。
それぞれの社会に大きなパラダイムシフトが起こりました。
それ以前の人たちには、想像もつかなかったようなことが次々と起きました。
私たちは今、それぐらい大きな時代の転換期の真っ只中にいるのではないでしょうか。
言論の自由が推進され、私たちはいろんな情報を得ることができます。
いろんな考え方を知ることができます。
そして、生き方を選択することができます。
たとえば、フェアトレード。
なぜ、高いのにわざわざフェアトレード商品を買う人がいるのでしょうか?
それはその人たちの考え方ですよね。
それができるのも、個人に与えられた選択する権利があるからだと思うのです。
臼井裕之さんは木村護郎さんとともに、事実上日本に初めて「言語権」という概念を紹介しました。
ことばを選ぶ権利。
自分が何語をしゃべるのか、どこの方言をしゃべるかということは取りも直さず、
どんな人と話をするのか、
どういう人が集まるコミュニティに属するのか、
誰と友達になるのか、
ということに関わってくるはずです。
「ことばの選択は生き方の選択である」
これが、最近わたしが行き着いた“想い”です。
この情報化社会の中、どんどんインターネット技術が革新され、
iphone、ipad に代表されるような新しい道具が生まれ、
驚くほどの勢いで、今まで考えられなかったインターネット上のサービスが生まれています。
約40年前、人類は月に到達しました。
人類宇宙時代も時間の問題です。
でも、その前に情報化の波が半端ない。
情報化によって、今まで繋がっていなかった人々が容易に繋がるようになりました。
繋がることによって、蜜なコミュニケーションが生まれました。
そのうねりが、今も吹き荒れる中東の革命を導いています。
ひとつには、アラブ諸国でアラビア語が共通語として機能しているから、ということが大きいそうです。
これから世界はもっともっと繋がる。
もっともっとコミュニケーションが生まれる。
国境を超えて、いろんな垣根を超えて。
その中で、わたしたちはどんなことばを選択しますか?
「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉があります。
私はこの言葉に大変共感を抱きます。
私が今一番心をくだいているのは、沖縄国際青年エスペラント大会(IJK)です。
エスペラントを少しでも多くの人に知ってもらい、少しでもいいイメージを持ってもらいたい。
沖縄IJKを成功させるため、皆さまのお力を貸していただけませんか?
2011年2月28日月曜日
エスペラントで国際交流しようよ
今日スカイプで徳島のエスペランティスト(エスペラントをしゃべる人)と話しました。
彼女は週一回、ロシアのエスペランティストとスカイプを繋いで、両国の若い人にエスペラントを教えています。
そこで意見が一致したのは、若者がエスペラントを勉強しようという動機となるものが少ないということ。
エスペラントの実用性が乏しいから?
でも、これは変わる。
これから変わる。
今でさえ、エスペラントを使う場所はあるし、有効に使ってる人はいる。
ましてインターネット技術、ソーシャルネットワークがもっと普及すれば、状況は劇的に変わる。
もちろん英語がしゃべれたらいいけど、英語にとらわれ過ぎたらいけないと思う。
国際交流=英語がしゃべれないといけない、みたいな。
エスペラントだったらもっと簡単にできるのに・・・。
エスペラントでサルートン!(こんにちは!)と言えば、
英語でハロー!と言うより何倍も親近感が湧くのに。
rとlの発音が間違ってたっていい。
rとlの発音が違うよ、と会話で指摘するエスペランティストはいないし、
指摘するべきことではない。されるべきでもない。
日本人はrとlの区別はしないんだよ、と堂々と言ってやればいい。
だいたい、外国人も日本語にrとlの区別がないことを知っている。
大事なのは、そんな小さなことにとらわれずにコミュニケーションすること。
大事なのは、rとlの発音ではなく、相手に何を伝えたいのか、相手から何を聞きたいのか、相手とどういう関係を築きたいのか。
英語に苦手意識があるからといって、国際交流をすること自体にも臆病になっていませんか?
誰かが言っていました。
"英語を流暢にしゃべれないということは、英語以外の言語を流暢にしゃべれるということだ。"
もっと日本語をしゃべることを誇りに思えばいい。
もっと日本人であることを誇りに思えばいい。
英語が苦手だから、国際交流も苦手というのはもったいない。
そして、国際交流するのは英語じゃなくてもいい。
エスペラントは簡単だよ!
とは間違っても言えないけれど
でも、これだけは言える。
英語より簡単。
日本人向き。
エスペラントをしゃべる人は世界中にいる。使う場所もある。
インターネットでもっと繋がりやすくなれば、確実に使用機会は増える。
今まで何人の外国人と話したことがありますか?
毎年行われる7日間の世界大会には、いろんな国から2000人が集まるんです。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東、アフリカから。
会場の廊下ですれ違ったら、みんな既知の間柄のようにサルートン!と声をかけてきます。
そこからはあなた次第。
もちろんエスペラントをしゃべる人の中にも合わない人はいるし、付き合いたくない人もいる。
でも大概はみんなすごくいい人。(ま、ちょっと変な人が多いかな)
最後に、外国人の親友ってよくないですか?
エスペラント繋がりで友達になった子は、関係が濃い~。
そんなエスペラントで国際交流する楽しさを、一度味わってほしいのです。
みなさんはどう思われますか?
コメント、メール、つぶやきください。
彼女は週一回、ロシアのエスペランティストとスカイプを繋いで、両国の若い人にエスペラントを教えています。
そこで意見が一致したのは、若者がエスペラントを勉強しようという動機となるものが少ないということ。
エスペラントの実用性が乏しいから?
でも、これは変わる。
これから変わる。
今でさえ、エスペラントを使う場所はあるし、有効に使ってる人はいる。
ましてインターネット技術、ソーシャルネットワークがもっと普及すれば、状況は劇的に変わる。
もちろん英語がしゃべれたらいいけど、英語にとらわれ過ぎたらいけないと思う。
国際交流=英語がしゃべれないといけない、みたいな。
エスペラントだったらもっと簡単にできるのに・・・。
エスペラントでサルートン!(こんにちは!)と言えば、
英語でハロー!と言うより何倍も親近感が湧くのに。
rとlの発音が間違ってたっていい。
rとlの発音が違うよ、と会話で指摘するエスペランティストはいないし、
指摘するべきことではない。されるべきでもない。
日本人はrとlの区別はしないんだよ、と堂々と言ってやればいい。
だいたい、外国人も日本語にrとlの区別がないことを知っている。
大事なのは、そんな小さなことにとらわれずにコミュニケーションすること。
大事なのは、rとlの発音ではなく、相手に何を伝えたいのか、相手から何を聞きたいのか、相手とどういう関係を築きたいのか。
英語に苦手意識があるからといって、国際交流をすること自体にも臆病になっていませんか?
誰かが言っていました。
"英語を流暢にしゃべれないということは、英語以外の言語を流暢にしゃべれるということだ。"
もっと日本語をしゃべることを誇りに思えばいい。
もっと日本人であることを誇りに思えばいい。
英語が苦手だから、国際交流も苦手というのはもったいない。
そして、国際交流するのは英語じゃなくてもいい。
エスペラントは簡単だよ!
とは間違っても言えないけれど
でも、これだけは言える。
英語より簡単。
日本人向き。
エスペラントをしゃべる人は世界中にいる。使う場所もある。
インターネットでもっと繋がりやすくなれば、確実に使用機会は増える。
今まで何人の外国人と話したことがありますか?
毎年行われる7日間の世界大会には、いろんな国から2000人が集まるんです。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東、アフリカから。
会場の廊下ですれ違ったら、みんな既知の間柄のようにサルートン!と声をかけてきます。
そこからはあなた次第。
もちろんエスペラントをしゃべる人の中にも合わない人はいるし、付き合いたくない人もいる。
でも大概はみんなすごくいい人。(ま、ちょっと変な人が多いかな)
最後に、外国人の親友ってよくないですか?
エスペラント繋がりで友達になった子は、関係が濃い~。
そんなエスペラントで国際交流する楽しさを、一度味わってほしいのです。
みなさんはどう思われますか?
コメント、メール、つぶやきください。
2011年2月27日日曜日
2012年 国際青年エスペラント大会 沖縄で開催 !
毎年世界どこかの都市で開かれる、エスペラント界最大の
青年行事「国際青年エスペラント大会」を2012年に、沖縄で開催します。
(去年はちなみにキューバだった。今年はウクライナ。)
大会と名前は付いていますが、どちらかというと「合宿」に近い。
一週間のプログラムを通して、世界各国から集まるエスペランティスト(エスペラントをしゃべる人)と一緒に観光したり、飲んだり踊ったりして交流を深めます。
参加者は約300人。
2007年には、横浜で世界大会が開かれましたが、
青年大会の日本開催は47年ぶり。
せっかく沖縄でやるので、沖縄の自然・文化・歴史を生かして、お祭りのように楽しい大会にしたいです。
また、青年と名はついてますが、年齢制限はありません。
心が若い人ならどなたでも!
初心者も大歓迎です。
(沖縄大会では、初心者育成に力を入れます)
青年行事「国際青年エスペラント大会」を2012年に、沖縄で開催します。
(去年はちなみにキューバだった。今年はウクライナ。)
大会と名前は付いていますが、どちらかというと「合宿」に近い。
一週間のプログラムを通して、世界各国から集まるエスペランティスト(エスペラントをしゃべる人)と一緒に観光したり、飲んだり踊ったりして交流を深めます。
参加者は約300人。
2007年には、横浜で世界大会が開かれましたが、
青年大会の日本開催は47年ぶり。
せっかく沖縄でやるので、沖縄の自然・文化・歴史を生かして、お祭りのように楽しい大会にしたいです。
また、青年と名はついてますが、年齢制限はありません。
心が若い人ならどなたでも!
初心者も大歓迎です。
(沖縄大会では、初心者育成に力を入れます)
2010年12月9日木曜日
2010年10月14日木曜日
Amindaj: Junulara Esperanta Muzikgrupo el Kubo
♪ Kubo belega Kubo
Preskaux cxiutage mi kantetas tiun cxi frazon senintence.
Amindaj estas junulara Esperanta muzikgrupo el Kubo.
Mi renkontigxis kun ili tra la 95-a Universala Kongreso, la 66-a Internacia Junulara Kongreso kaj la vojagxo post tiu kongresoj en Kubo.
Ĉiuj membroj de Amindaj estas mirindaj!
Ridu ridu ridu bonvlu ne plori ♪
Preskaux cxiutage mi kantetas tiun cxi frazon senintence.
Amindaj estas junulara Esperanta muzikgrupo el Kubo.
Mi renkontigxis kun ili tra la 95-a Universala Kongreso, la 66-a Internacia Junulara Kongreso kaj la vojagxo post tiu kongresoj en Kubo.
Ĉiuj membroj de Amindaj estas mirindaj!
Ridu ridu ridu bonvlu ne plori ♪
まぎらわしいaŭ群
kvazaŭ: まるで(as if)
preskaŭ: ほとんど(almost)
almenaŭ: 少なくとも(at least)
apenaŭ: かろうじて、するやいなや
malgraŭ: ・・・にもかかわらず(後に名詞が続く)
kvankam: ・・・だけれども(後に文が続く although)
morgaŭ: 明日(tomorrow)
hodiaŭ: 今日(today)
hieraŭ: 昨日(yesterday)
まぎらわしい・・・。いつまで経っても勘違いが起こるOrz
関連記事
まぎらわしい sprita, spirita, spiri, sopiri
まぎらわしい saluti, salti, ŝalti
preskaŭ: ほとんど(almost)
almenaŭ: 少なくとも(at least)
apenaŭ: かろうじて、するやいなや
malgraŭ: ・・・にもかかわらず(後に名詞が続く)
kvankam: ・・・だけれども(後に文が続く although)
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hodiaŭ: 今日(today)
hieraŭ: 昨日(yesterday)
まぎらわしい・・・。いつまで経っても勘違いが起こるOrz
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Pasinteco Nuntempo Estonteco
Humphrey Tonkin parolas pri Pasitenco, Nuntempo kaj Estonteco de Esperanto.
Li diras, ke ni povus ripeti tute samajn erarojn, kiu estis farata en pasinteco kaj Esperanto restus en sama stato en estonteco.
Grant Goodall montras, ke cxar en estonteco la angla lingvo farigxos facila kaj facila, tiam facileco de Esperanto ne estos sia avantagxo plu. Tial sxlosilo de estonteco de Esperanto estas ne la lingvo mem. Do, kio estas la sxlosilo?
Unu lingve talenta viro parolas, kial li ne interesigxas en Esperanto.
He says "Language learning is like falling in love."
Mi sxatas la frazon. Li ne estas malsxatanto de Esperanto: li havas iun komprenon pri Esperanto. Jen,
"I love the enthusiasm of Esperantists. It has become like a cause. But let's not ascribe to much to this cause. People are just as happy killing each other when they speak the same language (Civil Wars, ex-Yugoslavia). Often the passionate pursuit of ideals can lead to some of the worst excesses. I remain uninterested in Esperanto, at least for now. But one day we would be happy to have Esperanto at LingQ for those who want to learn it. All the more power to the Esperantists, with respect."
Mi pensas, ke opinio de Steve Kaufmann estas grava. Cxar li reprezentas, kial oni NE interesigxas pri Esperanto.
Ni devas pensi, kial oni ne lernas Esperanton.
Por disvastigi Esperanton ni devas reformi la kauxzon.
Laux mia opinio ni devas akcepti, ke ni ne havas sficxe bonan kulturon, kiu allogas multajn homojn. La originalan kulturon ni devas plibonigi por estonteco de Esperanto.
Li diras, ke ni povus ripeti tute samajn erarojn, kiu estis farata en pasinteco kaj Esperanto restus en sama stato en estonteco.
Grant Goodall montras, ke cxar en estonteco la angla lingvo farigxos facila kaj facila, tiam facileco de Esperanto ne estos sia avantagxo plu. Tial sxlosilo de estonteco de Esperanto estas ne la lingvo mem. Do, kio estas la sxlosilo?
Unu lingve talenta viro parolas, kial li ne interesigxas en Esperanto.
He says "Language learning is like falling in love."
Mi sxatas la frazon. Li ne estas malsxatanto de Esperanto: li havas iun komprenon pri Esperanto. Jen,
"I love the enthusiasm of Esperantists. It has become like a cause. But let's not ascribe to much to this cause. People are just as happy killing each other when they speak the same language (Civil Wars, ex-Yugoslavia). Often the passionate pursuit of ideals can lead to some of the worst excesses. I remain uninterested in Esperanto, at least for now. But one day we would be happy to have Esperanto at LingQ for those who want to learn it. All the more power to the Esperantists, with respect."
Mi pensas, ke opinio de Steve Kaufmann estas grava. Cxar li reprezentas, kial oni NE interesigxas pri Esperanto.
Ni devas pensi, kial oni ne lernas Esperanton.
Por disvastigi Esperanton ni devas reformi la kauxzon.
Laux mia opinio ni devas akcepti, ke ni ne havas sficxe bonan kulturon, kiu allogas multajn homojn. La originalan kulturon ni devas plibonigi por estonteco de Esperanto.
2010年10月7日木曜日
石黒アンドロイドとエスペラント
自分そっくりのアンドロイドを創るロボット研究者の石黒先生。
トークショーでこんなことをおっしゃっていたそうです。
•ロボットが人間そっくりになる前に、人間の定義が変わってしまうんじゃないでしょうか。ゾンビを不気味だと思うのはゾンビが少数派の間だけで、みんながゾンビならそれが人間ということになります。
•科学者には「倫理」はないです。科学の成果はいつも二つの面がある。原子力は人を殺すし,電気も作る。それをどう使うかは社会に依存していて、全く新しい技術がどう使われるかなんて事が分かるはずがない。それを予想して一々歯止めをかけたら何も進まなくなる。倫理などと口にする科学者は本物じゃないと思います。
これをエスペラントにあてはめられるだろうか?と考えてしまう。
ことばの定義とは?
なぜ英語?多数派だから?
エスペラントは少数派?
新しい言葉がどう使われるかなんて事分かるはずがない。
トークショーでこんなことをおっしゃっていたそうです。
•ロボットが人間そっくりになる前に、人間の定義が変わってしまうんじゃないでしょうか。ゾンビを不気味だと思うのはゾンビが少数派の間だけで、みんながゾンビならそれが人間ということになります。
•科学者には「倫理」はないです。科学の成果はいつも二つの面がある。原子力は人を殺すし,電気も作る。それをどう使うかは社会に依存していて、全く新しい技術がどう使われるかなんて事が分かるはずがない。それを予想して一々歯止めをかけたら何も進まなくなる。倫理などと口にする科学者は本物じゃないと思います。
これをエスペラントにあてはめられるだろうか?と考えてしまう。
ことばの定義とは?
なぜ英語?多数派だから?
エスペラントは少数派?
新しい言葉がどう使われるかなんて事分かるはずがない。
エスペラントは1000年後に生きている?
よくエスペラントの未来について考える。
どうやったら広まるのだろうか?
広まるとすれば、その言語はどういう条件を備えているだろうか?
結論から言うと、今、エスペラントの文化をしっかり作るべきだと思う。
もっと特化すれば、エスペラント音楽と古典を。
外国語を学びたいと思う動機は、
①仕事に有利
②大多数の外国人が共通語としてしゃべっている
③その民族の文化に触れたい
に大別されると思う。
このうち①、②は英語が席巻している。
残るは③。
しかし、エスペラントは特定の民族を持たない。
そこがいいところでもあるのだけれど、残念ながら大勢の人間を惹きつける要因には至っていない。
多大な労力を必要とする、言語習得に見合う恩恵は与えてくれないと考えられているからだ。
一方、
古池や 蛙とびこむ 水の音
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
と歌うとき、翻訳された作品から、どれほどこれらの歌を感じることができるだろうか?
青蛙 躍進古池 水的音 (鄭振鐸)
The silence; The voice of the cicadas soak into the rocks
などの外国語訳より、日本語で鑑賞した方がこれらの句を感じることができるだろう。
同じことは逆に、日本人がシェークスピアを読む時にも言えるかもしれない。
だから外国語を学ぶのだ。
百人一首も現代語訳は見るがやはり、原文で読む方が味がある。
万葉集も理想的には万葉仮名で読みたい。
古典の重要性。
古典には民族のルーツがあり、歴史がある。
それがその言語に厚みをもたらす。
エスペラントにはそれが乏しい。
もちろん各国の文学作品をエスペラント訳することは進めていかなければならないが、同時にエスペラントによるエスペラントの古典がもっと作られるべきだ。
エスペラントにしかできない表現。エスペラントで味わいたい作品。エスペラントならではの文化。
この音楽を聴くために!この小説を読むために!この詩を理解するために!エスペラントを学ぼう、となってほしい。
1000年後、(そもそも人類が生存しているのかということは置いといて)エスペラントが滅びていないにしても、今と同じような状況で細々と続けられているとすれば、あまりにもさみしい。
Esperanto cxu vi havas la estontecon?
p.s. 今を楽しんでいればいいんじゃないか、旅行でもっとPRするのがよい、という意見があった。
どうやったら広まるのだろうか?
広まるとすれば、その言語はどういう条件を備えているだろうか?
結論から言うと、今、エスペラントの文化をしっかり作るべきだと思う。
もっと特化すれば、エスペラント音楽と古典を。
外国語を学びたいと思う動機は、
①仕事に有利
②大多数の外国人が共通語としてしゃべっている
③その民族の文化に触れたい
に大別されると思う。
このうち①、②は英語が席巻している。
残るは③。
しかし、エスペラントは特定の民族を持たない。
そこがいいところでもあるのだけれど、残念ながら大勢の人間を惹きつける要因には至っていない。
多大な労力を必要とする、言語習得に見合う恩恵は与えてくれないと考えられているからだ。
一方、
古池や 蛙とびこむ 水の音
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
と歌うとき、翻訳された作品から、どれほどこれらの歌を感じることができるだろうか?
青蛙 躍進古池 水的音 (鄭振鐸)
The silence; The voice of the cicadas soak into the rocks
などの外国語訳より、日本語で鑑賞した方がこれらの句を感じることができるだろう。
同じことは逆に、日本人がシェークスピアを読む時にも言えるかもしれない。
だから外国語を学ぶのだ。
百人一首も現代語訳は見るがやはり、原文で読む方が味がある。
万葉集も理想的には万葉仮名で読みたい。
古典の重要性。
古典には民族のルーツがあり、歴史がある。
それがその言語に厚みをもたらす。
エスペラントにはそれが乏しい。
もちろん各国の文学作品をエスペラント訳することは進めていかなければならないが、同時にエスペラントによるエスペラントの古典がもっと作られるべきだ。
エスペラントにしかできない表現。エスペラントで味わいたい作品。エスペラントならではの文化。
この音楽を聴くために!この小説を読むために!この詩を理解するために!エスペラントを学ぼう、となってほしい。
1000年後、(そもそも人類が生存しているのかということは置いといて)エスペラントが滅びていないにしても、今と同じような状況で細々と続けられているとすれば、あまりにもさみしい。
Esperanto cxu vi havas la estontecon?
p.s. 今を楽しんでいればいいんじゃないか、旅行でもっとPRするのがよい、という意見があった。
2010年4月21日水曜日
エスペラントに期待する未来
2010年5月、日本の青年エスペランティストを活性化するため、青年エスペラント雑誌「La Junuloj」を復刊しました。「La Junuloj」を一つの媒体として全国に散らばる青年エスペランティストが交流し、学習するモチベーションになればと思っています。
「そんなダサい言語なんかやりたくないわ。」
それが、返ってきた答えでした。彼女は、英語もスウェーデン語も流暢に話す大学生。語学に堪能な彼女ならと思いエスペラントを紹介したのですが・・・。
他の友達に聞くてみても、エスペラントを知らない人がほとんど。知っていても、今はもう死語と化しているという認識。斯く言う私もそのうちの一人でした。メジャーな国際共通語とならないまでも、せめて外国語を学ぶ人にとって、英語・仏語・中国語に混じった選択肢の一つとしてエスペラントの地位があって欲しいものです。
個人的にエスペラントについて思うのは、もはや国際共通語として英語に取って代わることは、ほぼあり得ないということ。となれば、英語との棲み分けが必要です。世界の第一共通語としての機能を果たさない場合、エスペラントはどのような役割を担えばよいのでしょうか?人々がエスペラントを学ぶ必要性、エスペラントを学ぼうと思う動機はどこにあるのでしょうか?答えは今もって思案中です。誰か教えていただけますか?
そんな風に迷っている私に、ある人が言ってくれました。
「エスペラントは宝石みたいなものなんだよ。
普段は必要ないものだけど、持っていると心が輝くもの。」
さて、エスペラントがもう少しの知名度を得るため、また若者の間で流行るための鍵を握っているのは、一つは音楽だと思います。エスペラントには文化がないと言われます。確かにエスペラント文化はまだまだ薄っぺらい気がしています。だからこそ、音楽が必要だと考えます。私たちの本能に、心に、魂に訴えかける音楽。ジャンルは何でもいい。アニメソングでもヒップホップでもクラシックでも。エスペラントで平和を歌おう!
今夏、幸運にもキューバの世界大会に行く機会を得ることができました。
革命で起こった国のいまの姿をこの目で見て来ようと思います。キューバから帰ってきたら、世界大会その他の報告をします。
とりとめもなく書きましたが、最後に私の夢を記して終わりにしたいと思います。
① 日本で世界青年エスペラント大会IJKを開く。
② 宮崎駿さんのアニメをエスペラントに訳して、世界の貧しい地域の人々の前で上映する。
~ Emmanuel Jal – Emma を聴きながら ~
「そんなダサい言語なんかやりたくないわ。」
それが、返ってきた答えでした。彼女は、英語もスウェーデン語も流暢に話す大学生。語学に堪能な彼女ならと思いエスペラントを紹介したのですが・・・。
他の友達に聞くてみても、エスペラントを知らない人がほとんど。知っていても、今はもう死語と化しているという認識。斯く言う私もそのうちの一人でした。メジャーな国際共通語とならないまでも、せめて外国語を学ぶ人にとって、英語・仏語・中国語に混じった選択肢の一つとしてエスペラントの地位があって欲しいものです。
個人的にエスペラントについて思うのは、もはや国際共通語として英語に取って代わることは、ほぼあり得ないということ。となれば、英語との棲み分けが必要です。世界の第一共通語としての機能を果たさない場合、エスペラントはどのような役割を担えばよいのでしょうか?人々がエスペラントを学ぶ必要性、エスペラントを学ぼうと思う動機はどこにあるのでしょうか?答えは今もって思案中です。誰か教えていただけますか?
そんな風に迷っている私に、ある人が言ってくれました。
「エスペラントは宝石みたいなものなんだよ。
普段は必要ないものだけど、持っていると心が輝くもの。」
さて、エスペラントがもう少しの知名度を得るため、また若者の間で流行るための鍵を握っているのは、一つは音楽だと思います。エスペラントには文化がないと言われます。確かにエスペラント文化はまだまだ薄っぺらい気がしています。だからこそ、音楽が必要だと考えます。私たちの本能に、心に、魂に訴えかける音楽。ジャンルは何でもいい。アニメソングでもヒップホップでもクラシックでも。エスペラントで平和を歌おう!
今夏、幸運にもキューバの世界大会に行く機会を得ることができました。
革命で起こった国のいまの姿をこの目で見て来ようと思います。キューバから帰ってきたら、世界大会その他の報告をします。
とりとめもなく書きましたが、最後に私の夢を記して終わりにしたいと思います。
① 日本で世界青年エスペラント大会IJKを開く。
② 宮崎駿さんのアニメをエスペラントに訳して、世界の貧しい地域の人々の前で上映する。
~ Emmanuel Jal – Emma を聴きながら ~
2010年3月18日木曜日
英語との違い① - begin & start -
begin → komenci
start → komenci (△ starti)
エスペラント語で「始める」はkomenci。もしくは、ekを使って動詞と組み合わせる。例:ekiri(出発する)、eksalti(跳び上がる)など。
startiという単語があるが、これは「始動する」というニュアンスが強く、コンピューターやレースなどを“始める”場合に使う。
したがって、英語では"begin=初めて何かを始める場合"と、"start=何か知っていることを始める場合"の使い分けに気をつけなければならないが、エスペラントでは両方komenciでよい。
start → komenci (△ starti)
エスペラント語で「始める」はkomenci。もしくは、ekを使って動詞と組み合わせる。例:ekiri(出発する)、eksalti(跳び上がる)など。
startiという単語があるが、これは「始動する」というニュアンスが強く、コンピューターやレースなどを“始める”場合に使う。
したがって、英語では"begin=初めて何かを始める場合"と、"start=何か知っていることを始める場合"の使い分けに気をつけなければならないが、エスペラントでは両方komenciでよい。
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