今日は、神戸近くのエスペランティスティーノ(女性のエスペラント話者)の家に泊めていただきました。韓国から1人と、東京から2人、奈良から私。
今日合流した子と、韓国人の彼は、2006年ベトナムの国際青年エスペラント大会(IJK)以来の友達。彼らは5年ぶりの再会。4人で朝まで、いろいろと話しました。
その中で、Esperanta Miraklo (エスペラントが起こす奇跡) の話になった。
私が聞いたことがあるのは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪れたとき、緑の星のバッジをつけていたら、そこで働いている人に「エスペランティストですか?」と聞かれ、「実は私もなんです。」と、無料の解説で収容所内を案内してもらったという話。
トーゴへ行った時、たまたま知り合ったエスペランティストが、実は日本で活躍する有名人(ゾマホン)のいとこで、その場で電話をかけてアポをとり、ゾマホンのいる村まで車で連れてってくれたという話。普通の交通機関では絶対に行けなかったような場所だったそう。
それぞれの人がそれぞれのミラークロな話を持っている。
そもそも神戸で泊めてもらえることになったのも、エスペラントが起こした小さな奇跡かもしれない。神戸の方に感謝です。
みなさんは、どんな奇跡を体験したことがありますか?
4 件のコメント:
2002年。ブラジルのパトブランコでの第58回国際青年エスペラント大会からフォルタレザでの第87回世界エスペラント大会への移動の途中、リオデジャネイロで一服。銀行で両替をしたとき、間違えて裏口から出てしまった。とたんに前に立ちはだかる男。すわ強盗か、と心臓が止まった。が、エスペラントでやさしく話しかけてきた。裏通りを歩いていたら、私がエスペラント印のついたバッグを胸にしながら銀行から出てきたので、エスペランチストに違いないと思って挨拶してくれた地元のエスペランチストだったのである。お互いの偶然がどんなにうれしかったか。彼はリオで1番おいしいアイスクリーム屋に連れて行ってくれた。天井からさまざまな果物がぶらさがっていて、好きなのを指すといくつでもそのジュースとミックスしたアイスクリームが食べられる。うれしくてあれもこれも注文して、1年分ぐらい食べた気になったが、彼は水だけ。そのときわかったのだが、彼は失業中で職探しをしていたのだ。新聞の求職欄のページがポケットから見えた。私がおごるからと言ってもどうしても遠慮して、
私の食べた分を全部払ってくれた。感激せずにいられようか。
「エスペラントが起こす小さな奇跡-その2」
1987年。10歳の娘と一緒にポーランド・クラコフでの第43回国際青年エスペラント大会と、ワルシャワでの第72回世界エスペラント大会に参加した後、クロアチア・ザグレブでの国際人形劇コンクールを見に行った。世界からの人形劇団が、台詞はエスペラントで参加するコンクールである。ザグレブの町を散歩していると、露天のお姉さんからエスペラントで呼びかけられた。コンクール見学者の名札を胸にしていたので、すぐにエスペランチストだということが分かったのだ。彼女もエスペラントを習ったことがあると。うれしくてお土産を買ったら、あれやらこれやら娘のためにおまけを沢山つけてくれた。
「エスペラントが起こす小さな奇跡-その3」
1990年。夫と娘との3人でエスペラント大会とは無関係に韓国に家族旅行をした。後にも先にも家族旅行はじめて。貧乏旅行だから飛行機はやめて船にした。船内で私の鞄のエスペラント印のシールを見つけて、エスペラントで挨拶した青年がいた。韓国人かと思ったら日本人エスペランチストで、韓国に日本語教師として行ったり来たりしていると言う。お互い日本では大会などで会ったことがないので知らなかったが、知り合いになれてうれしい。
すごい・・・。
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