『エスペラントとは何だろうか?』
というタイトルの本はないだろうか?
エスペラントとはなにか。
それは、国際的な出会いを求める人にはもってこいのツールであり、
宇宙人から見れば、地球人が産み出した文化の一端。
趣味ともなるが、宗教的性格も内包する。
言語マニア、平和主義者、もしくは、その規則的な文法に惹かれて始める理系、コンピュータを専門にする話者が多い。
というのは、私の主観に基づく一般論だ。
個人的な話をしよう。
私的には、エスペラントはいわゆる"ことば"のひとつだ。
ことば。
言霊と言うように、すべてのことばには文化・魂・思想・歴史を秘めている。
私は関西弁、東京弁、英語、エスペラントをしゃべる。
東京の人とは東京弁でしゃべる。
関西人とはもちろん関西弁。
福岡の息子と毎日一緒にいたときは、福岡弁が混じった。
岡山の人としゃべる機会も多々あって、そのときは、岡山人になった気がする。そのつもりでしゃべっている。
英語は美しいことばだと思う。
そこには、アメリカという一種の憧れというか、憧憬の念が含まれている。
白人と黒人の英語は違う。それは、ラップミュージックやR&Bなどを聞いていると感じると思う。
どちらの英語も好きだ。
今は日本で生活しているので、機会を見つけて英語をしゃべりたい。
それは、フロリダでの留学時代を思い出すのと、アメリカ人になった気分を味わうのが嬉しいのだ。英語をしゃべっていると、同時に英語をしゃべっていたときの思い出が蘇り、一緒にいた友達を思い出す。だから、英語が鈍ってくると、それらの友との関係が褪せていくようで、悲しい。
エスペラントも同じだ。
しゃべりかける相手は限られるけれど、
たとえば、英語もエスペラントも通じる相手に話しかけるとき、どちらのことばを選択するのか。
相手とこちらの力量のバランスもあるが、この話題はエスペラントでしゃべりたい、伝えたいということがある。
翻訳すれば同じ内容かもしれないけれど、そこには厳然たるニュアンス・思想の違いがあるのだ。
それこそ言葉では言い表せない、色やにおいのようなものだ。
PS.
わたしの尊敬するおばあちゃんは、
「エスペラントをしゃべるとき、自由になる。」
と言う。
自分が解放される気分なのだろう。
しがらみにとらわれず、自由に自分の思うところを表現でき、余すところなく伝えられる。
だから、エスペラントを使いたい、エスペランティストとしゃべりたいのだ。
エスペラントはそんな風に人を魅了する。
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