2010年10月14日木曜日

Amindaj: Junulara Esperanta Muzikgrupo el Kubo

 ♪ Kubo belega Kubo
Preskaux cxiutage mi kantetas tiun cxi frazon senintence.
Amindaj estas junulara Esperanta muzikgrupo el Kubo.
Mi renkontigxis kun ili tra la 95-a Universala Kongreso, la 66-a Internacia Junulara Kongreso kaj la vojagxo post tiu kongresoj en Kubo.
Ĉiuj membroj de Amindaj estas mirindaj!
 Ridu ridu ridu bonvlu ne plori ♪

まぎらわしいaŭ群

kvazaŭ: まるで(as if)
preskaŭ: ほとんど(almost)
almenaŭ: 少なくとも(at least)
apenaŭ: かろうじて、するやいなや
malgraŭ: ・・・にもかかわらず(後に名詞が続く)
kvankam: ・・・だけれども(後に文が続く although)

morgaŭ: 明日(tomorrow)
hodiaŭ: 今日(today)
hieraŭ: 昨日(yesterday)

まぎらわしい・・・。いつまで経っても勘違いが起こるOrz

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まぎらわしい sprita, spirita, spiri, sopiri
まぎらわしい saluti, salti, ŝalti

Pasinteco Nuntempo Estonteco

Humphrey Tonkin parolas pri Pasitenco, Nuntempo kaj Estonteco de Esperanto.
Li diras, ke ni povus ripeti tute samajn erarojn, kiu estis farata en pasinteco kaj Esperanto restus en sama stato en estonteco.


Grant Goodall montras, ke cxar en estonteco la angla lingvo farigxos facila kaj facila, tiam facileco de Esperanto ne estos sia avantagxo plu. Tial sxlosilo de estonteco de Esperanto estas ne la lingvo mem. Do, kio estas la sxlosilo?


Unu lingve talenta viro parolas, kial li ne interesigxas en Esperanto.

He says "Language learning is like falling in love."
Mi sxatas la frazon. Li ne estas malsxatanto de Esperanto: li havas iun komprenon pri Esperanto. Jen,
"I love the enthusiasm of Esperantists. It has become like a cause. But let's not ascribe to much to this cause. People are just as happy killing each other when they speak the same language (Civil Wars, ex-Yugoslavia). Often the passionate pursuit of ideals can lead to some of the worst excesses. I remain uninterested in Esperanto, at least for now. But one day we would be happy to have Esperanto at LingQ for those who want to learn it. All the more power to the Esperantists, with respect."

Mi pensas, ke opinio de Steve Kaufmann estas grava. Cxar li reprezentas, kial oni NE interesigxas pri Esperanto.
Ni devas pensi, kial oni ne lernas Esperanton.
Por disvastigi Esperanton ni devas reformi la kauxzon.
Laux mia opinio ni devas akcepti, ke ni ne havas sficxe bonan kulturon, kiu allogas multajn homojn. La originalan kulturon ni devas plibonigi por estonteco de Esperanto.

2010年10月7日木曜日

石黒アンドロイドとエスペラント

自分そっくりのアンドロイドを創るロボット研究者の石黒先生。
トークショーでこんなことをおっしゃっていたそうです。

•ロボットが人間そっくりになる前に、人間の定義が変わってしまうんじゃないでしょうか。ゾンビを不気味だと思うのはゾンビが少数派の間だけで、みんながゾンビならそれが人間ということになります。

•科学者には「倫理」はないです。科学の成果はいつも二つの面がある。原子力は人を殺すし,電気も作る。それをどう使うかは社会に依存していて、全く新しい技術がどう使われるかなんて事が分かるはずがない。それを予想して一々歯止めをかけたら何も進まなくなる。倫理などと口にする科学者は本物じゃないと思います。

これをエスペラントにあてはめられるだろうか?と考えてしまう。

ことばの定義とは?
なぜ英語?多数派だから?
エスペラントは少数派?
新しい言葉がどう使われるかなんて事分かるはずがない。

エスペラントは1000年後に生きている?

よくエスペラントの未来について考える。
どうやったら広まるのだろうか?
広まるとすれば、その言語はどういう条件を備えているだろうか?

結論から言うと、今、エスペラントの文化をしっかり作るべきだと思う。
もっと特化すれば、エスペラント音楽と古典を。

外国語を学びたいと思う動機は、
①仕事に有利
②大多数の外国人が共通語としてしゃべっている
③その民族の文化に触れたい
に大別されると思う。

このうち①、②は英語が席巻している。
残るは③。
しかし、エスペラントは特定の民族を持たない。
そこがいいところでもあるのだけれど、残念ながら大勢の人間を惹きつける要因には至っていない。
多大な労力を必要とする、言語習得に見合う恩恵は与えてくれないと考えられているからだ。

一方、
古池や 蛙とびこむ 水の音
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

と歌うとき、翻訳された作品から、どれほどこれらの歌を感じることができるだろうか?

青蛙 躍進古池 水的音 (鄭振鐸)
The silence; The voice of the cicadas soak into the rocks

などの外国語訳より、日本語で鑑賞した方がこれらの句を感じることができるだろう。
同じことは逆に、日本人がシェークスピアを読む時にも言えるかもしれない。
だから外国語を学ぶのだ。

百人一首も現代語訳は見るがやはり、原文で読む方が味がある。
万葉集も理想的には万葉仮名で読みたい。

古典の重要性。
古典には民族のルーツがあり、歴史がある。
それがその言語に厚みをもたらす。
エスペラントにはそれが乏しい。
もちろん各国の文学作品をエスペラント訳することは進めていかなければならないが、同時にエスペラントによるエスペラントの古典がもっと作られるべきだ。
エスペラントにしかできない表現。エスペラントで味わいたい作品。エスペラントならではの文化。

この音楽を聴くために!この小説を読むために!この詩を理解するために!エスペラントを学ぼう、となってほしい。

1000年後、(そもそも人類が生存しているのかということは置いといて)エスペラントが滅びていないにしても、今と同じような状況で細々と続けられているとすれば、あまりにもさみしい。

Esperanto cxu vi havas la estontecon?
 

p.s. 今を楽しんでいればいいんじゃないか、旅行でもっとPRするのがよい、という意見があった。

2010年4月21日水曜日

エスペラントに期待する未来

2010年5月、日本の青年エスペランティストを活性化するため、青年エスペラント雑誌「La Junuloj」を復刊しました。「La Junuloj」を一つの媒体として全国に散らばる青年エスペランティストが交流し、学習するモチベーションになればと思っています。

 「そんなダサい言語なんかやりたくないわ。」
それが、返ってきた答えでした。彼女は、英語もスウェーデン語も流暢に話す大学生。語学に堪能な彼女ならと思いエスペラントを紹介したのですが・・・。

他の友達に聞くてみても、エスペラントを知らない人がほとんど。知っていても、今はもう死語と化しているという認識。斯く言う私もそのうちの一人でした。メジャーな国際共通語とならないまでも、せめて外国語を学ぶ人にとって、英語・仏語・中国語に混じった選択肢の一つとしてエスペラントの地位があって欲しいものです。

個人的にエスペラントについて思うのは、もはや国際共通語として英語に取って代わることは、ほぼあり得ないということ。となれば、英語との棲み分けが必要です。世界の第一共通語としての機能を果たさない場合、エスペラントはどのような役割を担えばよいのでしょうか?人々がエスペラントを学ぶ必要性、エスペラントを学ぼうと思う動機はどこにあるのでしょうか?答えは今もって思案中です。誰か教えていただけますか?

そんな風に迷っている私に、ある人が言ってくれました。
「エスペラントは宝石みたいなものなんだよ。
普段は必要ないものだけど、持っていると心が輝くもの。」

さて、エスペラントがもう少しの知名度を得るため、また若者の間で流行るための鍵を握っているのは、一つは音楽だと思います。エスペラントには文化がないと言われます。確かにエスペラント文化はまだまだ薄っぺらい気がしています。だからこそ、音楽が必要だと考えます。私たちの本能に、心に、魂に訴えかける音楽。ジャンルは何でもいい。アニメソングでもヒップホップでもクラシックでも。エスペラントで平和を歌おう!

今夏、幸運にもキューバの世界大会に行く機会を得ることができました。
革命で起こった国のいまの姿をこの目で見て来ようと思います。キューバから帰ってきたら、世界大会その他の報告をします。

とりとめもなく書きましたが、最後に私の夢を記して終わりにしたいと思います。
① 日本で世界青年エスペラント大会IJKを開く。
② 宮崎駿さんのアニメをエスペラントに訳して、世界の貧しい地域の人々の前で上映する。

~ Emmanuel Jal – Emma を聴きながら ~

2010年3月18日木曜日

英語との違い① - begin & start -

begin → komenci
start → komenci (△ starti)

エスペラント語で「始める」はkomenci。もしくは、ekを使って動詞と組み合わせる。例:ekiri(出発する)、eksalti(跳び上がる)など。
startiという単語があるが、これは「始動する」というニュアンスが強く、コンピューターやレースなどを“始める”場合に使う。

したがって、英語では"begin=初めて何かを始める場合"と、"start=何か知っていることを始める場合"の使い分けに気をつけなければならないが、エスペラントでは両方komenciでよい。